会の由来

江戸時代の会津松平藩政における最大の貢献者、家老 田中玄宰(たなかはるなか)から名付けました。天明の大飢誰を乗り越え、様々な産業を奨励し、現在における会津の地場産業や特産品の基礎を作った人物です。会津藩及び藩主松平家は戊辰戦争において、悲しい結末をを迎えることとなりますが、松平家が第9代松平容保公まで繁栄した陰の立役者ともいえます。

田中玄宰 (たなかはるなか)   寛延元年~文化5年(1748~1808)
会津藩の家老職の家に生まれ、松平時代の第5代藩主容頒(かたのぶ)から第6代容住(かたおき)・第7代容衆(かたひろ)と3代の藩主に家老として仕え、逼泊した藩の財政を立直す藩政改革を実行し、藩の存続に大きく貢献した名家老。
特に大明の大飢誰の際には、病のため引退していたが家老職に再登用となり、いわゆる天明・寛政の改革として、軍事・教育・人材・経済・民政・農政など8項目に渡る改革を実施し、中でも農民や町人に養蚕・薬用人参・紅花・藍・棉等の栽培や、漆器・陶磁器の生産・酒造などの殖産興業により財政基盤拡大を図った。